2023年は関東大地震から100年。1923年9月の大地震では、デマによって当時の関東に住んでいた朝鮮人が多数殺害されました。さいたま市片柳の染谷でも、逃げてきたカン・デフンさんは、デマを信じた村人によって殺害されました。その彼に想いを馳せて未来を作るための実行委員会です。
姜大興さんの想いを刻み未来に生かす集い実行委員会とは?
3月20日(日)、「姜(カン)大興(テフン)さんの想いを刻み未来に生かす集い実行委員会」(略・姜大興さんの想い実行委員会)を共同代表(あいうえお順) 江藤善章(埼玉・コリア21)・関原正裕(日朝協会埼玉県連合会)として立ち上げました。
目的は、今年は1923年の関東大震災から百年です。 その時に関東に在住していた数千人の朝鮮人が虐殺されたという歴史の事実があります。 埼玉県でも200人以上の朝鮮人が殺害されました。 その犠牲者の一人が、さいたま市片柳地域にある常泉寺に「朝鮮人姜大興墓」という墓の下に眠っています。 犠牲者の名前が刻まれた墓があるのは極めてまれな事例です。 どうしてこのような事件が起きてしまったのかを深く考え、姜大興さんの無念の思いを胸に刻み、未来に生かすことが私たちの責務だと思っています。 以下のようなことを考えています。 ご協力、ご参加ください。
・遺族をお招きして、常泉寺に眠る姜大興さんのお墓の前で100年目の再会と供養の場を実現させる
・歴史の真実を理解するための講座・映画会などを開く
・姜大興さんの想いに近づくために、浦和から殺害現場までを歩く鎮魂のウォーキングを実施する
・さいたま市行政に働きかけ、慰霊祭を市民と行政が一緒に開催できるよう働きかける
以上のことを目的として、広く市民活動として今後展開することにした市民団体です。
2023年3月27日に結成
共同代表 関原正裕(日朝協会埼玉県連代表)江藤善章 埼玉・コリア21代表)とした。
姜 大 興 さん 追 悼
姜大興さん、
貴方はいったいどんな人だったのでしょうか。
貴方は朝鮮の何処で生まれたのでしょうか。
貴方の故郷はどんな村だったのでしょうか。
春には、つつじの花が大地を覆うように咲き乱れ、元気に走り回ったり、遊んだり
夏には、庭(マダン)のムグンファの花が月夜に照らされ薄桃色に浮かぶ
そこで、優しいオモニの子守唄を聞いたことでしょうね。
もしかしたら、思いを寄せた娘さんと、二人の未来を語り合ったかもしれませんね。
でも、その夢や、語り合いの中に、
どうしてこんなことを予想できたでしょうか。
遠く日本のこの地で、姜大興と墓石に刻まれるようになろうとは、
1923年9月1日
関東大震災とういう未曾有の事態に
日本の権力者によって巧妙に計画され、デマを作り民衆を扇動し
自警団という殺人集団によって、関東で約6千人
埼玉県でも193人が虐殺されたのでした。
その中の一人
それが、姜大興さん貴方でした。
9月4日午前2時
殺戮と地獄の東京からやっと逃れてきた貴方は、この地でつかまった
あの時、狂気に血走った自警団に、
貴方は必死に話したそうですね。何を話したのでしょうか
しかし、その言葉は何一つ伝わることなく、
むしろ朝鮮語で話していることによって、
ただ、朝鮮人だということだけで、
何の罪もなく、
何の理由もなく
竹やりで刺され、刃物で切り付けられ、棍棒でなぐられ
おびただしい出血の中で命を落としたそうですね。
あれから86年
今私たちは、その時の支配者の陰謀を知っている
その時の日本人がなぜ罪もない朝鮮人を殺戮する側に
なってしまったかを理解している。
だからこそ、今、ここに私たちはいます。
姜大興さん
あなたの、かけがえのない名前の前で
二度と日本人がそうならないために
二度とあんな時代を生みださないために
あなたの名前を心に刻むつもりです。
貴方の命を育んだ人々と
貴方の故郷がどんな村であったのか
貴方がどんな人であったかを想いながら。
姜大興さんとは
関東大震災当時、関東地域に住んでいた朝鮮人が各地で流言飛語により多数虐殺された。 埼玉県内でも200人を超える朝鮮人が犠牲になった。
さいたま市片柳地域に逃れ迷い込んだ一人の朝鮮人が、当時の自警団によって殺害され、その犠牲者の名前が姜大興さん。
死後、住民の手で地域の常泉寺に墓碑が建てられた。
関東大震災で殺害された朝鮮人の氏名がわかる墓碑の存在は、非常に少ないもので、名前があるのはわずか三基しかなく、その一つであり、住民がその後も守り続けてきた場所でもある。